薔薇の開く瞬間
2017年 08月 06日体も心も自ら動こうとする意思がほぼゼロで、「何もかも嫌だ、3日くらいどこかへ行ってしまいたい」と思った。
それでも今日は洗濯があるからと起き上がり、重い足取りで洗面所に行った時だった。
切って花瓶に挿しておいたノヴァーリス(薄紫のいわゆる青薔薇)が一輪、中心の花びらをパラリ、パラリと広げた。
その微かな音さえ聞こえた。
そしてもう一輪。
これはもう中心の蕊が見えていたのだが、そのまわりの花びらが数枚、ふわっと優しく反ったのだ。
どんな植物であれ、花が開く瞬間というものを初めて見た。
驚きとともに、静かな感動が、体の奥深くゆっくりと広がった。
同時に、薔薇は私を励まそうとしてくれたのではないかと思った。
これは馬鹿げた乙女チックな思い込みではなく、いささかの根拠がある。
「植物には知性や感情があると考える科学者が急増」(カラパイア)という記事だ。
近年、「木々が互いに話し合い、苦痛を感じ、助け合い、仲間の世話をし、コミュニティまで形成する」証拠が、各国の研究者によって次々と発見されている。
根は音を発し、菌によって他の木々とのネットワークを作る。
楡や松は、葉をかじられると唾液から襲撃者を特定し、それに適したフェロモンを放出して、その襲撃者の天敵を呼び寄せる。
個別の種の、はっきりとした意思を感じさせる特異な手法は、枚挙にいとまがない。
「植物に知性や感情がないと断言するほうが難しくなる」と記事は言っている。
私も、育てている植物に励まされていると感じることがたびたびある。
疲れているときに、それまで香ってなかった花が、不意にいい匂いを立ち昇らせてくれることなどはよくある。
しかし、今朝ほど感動的で奇跡的な励ましは初めてだった。
それだけ自分の疲弊が深刻なのだろう。
できる範囲で、なんとか気分を変える工夫をしなくては。
ノヴァーリス、本当にありがとう!